第四章

人の迷惑より自社の利益?



 やがて、営業部から“編集部”に転属になったわけなのだけど、この転属がまた「騙された」としか言いようがなかった
 総務部長の木下から、「第2編集部に転属してくれないか?」と打診があったのだが、少々気になることがあった。その編集部の担当は、細かいデータものが多かったはずと思ったからだ。営業部時代に痛めつけられてしまった目を、これ以上痛めつけたくないという思いがあった。すでのこの頃、「この先どこまで悪くなってしまうのか」と真剣に心配していたからだ。「普通の雑誌や書籍ならともかく、データものはちょっと…」と言うと木下は、「いや、第2編集部は新しく生まれ変わる。これから新規媒体を開発していく部隊になる」と言い、さらに「データものを担当する編集部というイメージは捨ててくれ」とまで言った。“新規媒体開発”という言葉にのせられてしまい、「やりがいはありそうかな?」「単なるデータ整理よりは自分で時間も内容も計画してやっていけるのでは?」と異動を承諾したのが間違いだった。

 異動してみれば何の事はない。現場の長である女性部長の安井友江はあっさり、「ここの仕事はデータものだ。あなたにもそれをやってもらう」と言う。おいおい、ヒドイじゃないか。こんなあからさまな騙しってありなのかよ?
 実はタンコン社では、本人に事前に異動の打診をし、本人に何らかの事情、都合があったり、志向、適性などに鑑みて同意できなかった場合、断ることができる事になっている。つまり、「そんなに大きな会社ではないのだから、人事を決める前に社内コミュニケーションを取ればいい」という建て前だ。でも、木下にしてみれば、「断られたら面倒」だったんだろうな。でも、会社としての制度がある以上、説明責任を果たしていないことは事実だし、ウソはウソである。
 この頃になると、きちんと実績を上げているのにそれさえ認めてもらえないことや、“グループ”の皆さんの執拗な誹謗中傷、陰口攻撃にいい加減神経が擦り減ってきていたので、「会社まで俺にウソをつくのか?」と、些か耐え難い思いを抱いた。今にして思えば、いよいよ心身症、鬱病の入り口だったのだろう

 この異動は色々な意味で大きな負担増だった。営業であれば、例え社内、部署で面白くなくても、外の人と話をして気晴らしが出来、“ココロのバランス”をとることが出来た。しかし、データ編集などという仕事ではそうも行かない。基本的には閉じ篭りきりである。その上、ここのメンバーは私以外全て喫煙者。狭いスペースでそろって吸い始められると、もう“耐え難い”の一言だった。打ち合わせの時など、5分もしないうちに吐き気がしてくる。それでも我慢していると、目眩がしてくる。「おい、寝るなよ」などと無神経な言葉を吐かれることもあったが、さすがに「お前が臭いからだ」とは中々言い返せるものではない。「何で騙し討ちで異動させられた上にこんな目に遭わなければならないんだ」とストレスは日に日に溜まっていった。
 やがて、社屋移転してからは一応「社内分煙」ということで、喫煙場所が指定されたのだが、守らない人間が多いものだから何の意味もない。何しろ、現場の管理職までが守らないのである。これまた一応、総務が「喫煙場所を守りましょう」みたいな張り紙だけしたが、大した効果もない。「総務が見てないからいいよね」と言いつつ、狭い会議スペースで吸われた日には、本当に吐き気と目眩がした。それでも、迷惑かけているとは思ってもらえないのだからなんとも…。
 どうしようもない時は、もうなんと言われようとも「ちょっと外の空気を吸ってきます」と表に出てしばらくいたりしたが、やがてその位では気分転換にならなくなっていった。しかも、タバコ休憩を取っている人間は堂々と休んでいるのに、“外の空気を吸いに”はサボっているかのように言われるのだから堪らない。

 この「データもの編集」という仕事自体がまた、私には信じられないものだった。「データもの編集」と一口に言ってもいくつかあったが、その主なものは要するに「名簿販売」だったのだ。簡単に言えば、あちこちの会社の主な社員名簿みたいなものを集めてまとめたものである。タンコン社でこうしたものを本にして売っているのは知っていたが、それを“名簿データ”として売ってまでいるとは、社内にいながら知らなかった。
 「会社であれば取締役や上級管理職の名前は公開している。だからそれを集めて売っても問題ない」と安井友江は言った。そりゃ直接法に触れるわけではないかも知れないが、こういうご時世である。このデータには、全員についてではないが、勤務先、役職などの他、個人の出身地や最終学歴、果ては自宅住所まで入っている。正に「個人情報」である。そう言えばこれまで、大きな企業の役員などの自宅が強盗に入られたりした事件の報道で、犯人が「どうしてそこの家に目をつけたか」という理由として、「タンコン社の名簿を参考にした」と言っていたことがあった。これのことだったのか?
 「誰が買うのか」「どう使うのか」と言えば、大抵はDM屋などが宛先に使うくらいかも知れない。それとて迷惑だと思う人にとっては「くらい」とかいう問題ではないだろう。「どこでウチの個人情報を?」と思えば、気持ちのいいものではない。もちろん、それが思わぬ事態を引き起こす事だってありうるのだ。
 「問題が起きても、それは買った側の問題であって、売ったこちらの責任ではない。データの利用方法、情報の管理については買った側で責任を持ってくれと売る際に言っているから、トラブルがあってもこちらに法的責任は無い」、と副部長の河田守は言う。おいおい、そういう問題なのかよ。ほとんど“脱法ドラッグ”並みの言い訳である。いったいこれが真っ当な出版社のやるべき商売なのだろうか?

 事実、外部の人から問合せ、クレームが入ることもあった。例えば、「電話セールスしてきた業者に、『どうして自分の電話番号や住所、勤め先まで知っているのか?』と聞いたところ、『タンコン社の名簿を使っている』と答えた。何で勝手に人の情報を売っているのか?」、というようなものだ。
 この時の河田の言い訳がこうだ。「確かに私どもでは確かに会社役員の名簿は扱っていますが、自宅の電話番号はデータに入っていません。ですから、その業者さんの使っているデータは私どものものではありません。何かの間違いでしょう」。詭弁である。それぞれの会社で名前を公表するような、それなりの地位にいる人であれば大抵は“世帯主”だ。その住所、氏名が分かれば“104”で聞けばかなりの確率で電話番号は分かる。もっと大量に、いっぺんに調べたければ、世の中には、“住所と電話番号”という形のデータを売っている業者もいる。これと名寄せして組み合わせれば、大量の“自宅電話番号入り名簿”が出来上がる。個人の氏名、自宅住所、電話番号、勤務先、勤務先電話番号、出身地、最終学歴その他まで入った、“危ない個人情報データ集”というわけだ。“名簿データ”というものは、そういう作られ方、使われ方をするものなのである。河田は当然それを分かっていてトボけているのだ。

 出版社に限らずかも知れないが、業務上、多少の“方便”を使うこともあるとは思う。「コンビニで一番売れている○○雑誌です」と言っているが、実はライバル誌は定期購読でその4倍も5倍も売れているから別にコンビニで買わないだけだったりとか、「隔週刊の××雑誌でナンバー1」とか宣伝していても、実は「競合他誌は速報性を追及して週刊化してしまっていて、隔週でやっているのはそもそもそれ1誌だけ」なんてのは、まあギリギリ“ウソ”でもないし、調べたい人は調べれば分かることだからまだ罪のない方だ。
 問題はもっと他にある。

 そもそも、そういう“個人データ”をどうやって集めてくるのか、疑問に思う人もいるだろう。タンコン社では表向き「独自の調査しております」と説明している。
 もちろん、独自の調査もしてはいる。オリジナルのアンケート用紙を送付して、相手の会社に記入して送り返してもらうのだ。しかし、相手の会社にしてみれば何の特にもならないことに、総務なり人事なりの人がそれ相当の時間を割くわけで、「一体何の目的の調査なのか?」といぶかしがる相手も相当いる。そういう問合せを通り越して、お叱りや苦情に近いものまで来る。そういう時には、「弊社の書籍に掲載させていただきます」「掲載は無料なので、御社の宣伝にもなりますよ」などと適当なことを言ってやり過ごす(役職者のものにしろ何にしろ、社員の個人情報を宣伝したい会社などいないだろうに)。「データベース化して名簿データとして転売しております」などとは言わない(言ったらどうなるんだろう?)。そうして、どこかの企業の、人のいい総務、人事担当者にお答えいただいた個人情報は、どこかの誰かにまとめ売りされることになるのだ。もちろん、そのアンケートに答えてしまったが最後、役員として名前が公開されている人だけでなく、中間管理職などについても名簿データに載ってしまうことになる。
 一方、やはりこのご時世、そんな説明では「載せてくれなくても結構」という会社も当然ある。“名簿屋”としては、名簿データが少ない件数しかなかったり、使えないデータが多いのでは商売にならない。ではどうするかというと、報道発表用の資料や証券関係の公示資料など、公式発表された文書からも拾ってくるが、実は一番の情報源は、“新聞の人事異動欄”だったりする。簡単に言えば、他社が取材して集めた記事内容を無断拝借するんである。しかもその方法は、外部の編集プロダクションに人事異動欄に紙面を大きく割いている新聞を取らせて、記事を写させるという安直なものだ。さすがに、新聞からいただいてしまうだけでは自宅住所までは分からないが、会社の住所はかなりの確率で分かる。「DMを送るだけだから勤め先が分かればいい」という注文もあるし、タンコン社として「総データ件数○○件」などと宣伝するにはとにかくどんなデータでもあったほうが都合がいい。実は、そのタンコン社が販売している個人データ総数の7割は、そうして集めたものだった。つまり、ほとんどよそ様が取材して集めた資料を写して売っていたのだ。(別な見方をすれば、新聞には情報開示するけど、タンコン社にはしてくれない会社の方が圧倒的に多かったということだね。タンコン社って信用ないんだなと言うべきか、世の中の3分の2以上の会社は賢明であるというべきか)そうかと思えば、データベースを作る入力作業については業者に外注などしている。そこのところも、「流出させないでね」というお約束だけで、監視しているわけではない。
 「それって、著作権法に引っかからないまでも、同じマスコミとして道義に反してないですか?」と言うと、安田部長は「反しているかも知れないけど、ウチには情報収集力が無いんだから仕方がない。文句があるならあなたが自前の情報収集法を考えればいい」という。本末転倒である。「じゃあ、考えるまでこの商売止めとけといったら止めるのですか?」と言ったら、ただ黙ってしまった。
  この新聞からいただいた、つまりタンコウ社のデータ収集に応じてくれない会社のデータも、翌年のデータ収集アンケートの時には一覧表にして、それぞれの会社に送りつけられる。「ただ今お知らせいただいている貴社のデータはこれこれでございますが、変更ございませんでしょうか?」とやるのだ。「んなもん、お知らせした覚えはない」と怒られることもあるが、その場合にはそのままのデータを載せておく。ところが、何しろ見慣れた社内の人間の役職リストが送りつけられるものだから、たまに人のいい総務部長さんや異動になったばかりの担当者さんが、「おや?ウチの会社は今までもこんなものに協力していたのかな?」と勘違いして、うっかりまともに答えを返してきてくれることもある。つまり、まんまと最新情報をせしめることができるわけだ。
 そういえば、営業部にいた時、取引先のある人物から、「タンコン社さんてもっとカタイ会社かと思っていたら、結構危ない商売もやってるんですね」と言われたことがある。何のことか分からず、「そうですか?どんな?」と聞くと、相手は「いや、この間、『へえ、そんなこともやってるんだ』と思ったことがあって…」と、ハッキリとは答えてくれなかったが、これのことだったのか?自分のいる会社について勉強不足だったな。

 そんな中で悩んでいたら、営業部隊時代に良くしてくれていた先輩社員の竹内義春にこんなことを言われた。「あの安井のオバサンは、拾ってきた名簿にでも値段つけて売っちゃうような人だからな。なるべくそんな仕事に巻き込まれないようにしろよ」。そんなの異動する前に言ってくれればよかったのに、遅いよ竹内さん。

 問題は情報源だけではない。自前で集めたアンケートや報道用資料だけでなく、言わば他社のデータも無断でいただいているとなれば当然、同じ情報が入ってくることもあるはず。その取捨選択はどうしていたかというと、“プロダクション”が頼り。その選択の“ノウハウ”について安井たちは「よく分からない」と言い(丸投げだったってことだ)、さらに私に「だからお前が編プロへ行って聞いて来い」という。仕方なく聞いてみたら、向こうの担当者は「大体、見たことあるかないかの感じで、何となく…」と言う。うーん…。

 それまでアンケートに答えてくれていた会社が、「個人情報保護の観点から…」と回答を止めたいと言ってくるケースもあった。「株式会社だから役員名までは答えるが、それ以上は回答しない」とか、「個人の住所までは回答しない」と言ってくるケースもあった。そうハッキリと伝えてくれればいい。安井たちにも「断られたのだから仕方がない」と言えるからである。では、「ハッキリしない」「ただ無視された」場合はどうだろう?
 最初から完全に無視して、過去に1度もアンケートに回答したことがなければいいかも知れない。公表している役職者の氏名が「知らないところでも掲載されていた」程度で済むかも知れない。しかし、過去に1度でもアンケートに答えてしまっていたら、そのデータはタンコン社のデータベースに何らかの形で残ってしまっている。さらに問題なのはその残っているデータの取扱いだ。
 私の感覚では、例え過去にアンケートに回答したことがあっても、今年回答してくれないという会社は、「もはや回答の意志なし」なのだろうと思う。言い換えれば、もうタンコン社を通じて個人データを外部にさらすつもりはないか、なくなったのである。そういう会社については、掲載をあきらめるのが適当ではないかと思う。ところが安田部長は、「回答がなくても、すでにデータベースにある会社のデータは、去年のデータから引っ張って来てでもそのまま売る」と言う。相手から見れば、「データを売られるのがイヤだから答えなくなったのに勝手に売られ続ける」わけだ。この時まだ、個人情報保護法は施行はされていなかったが、その内容はすでに明らかになってきていたので、「それは後で問題になるのでは?」と言ったら、「個人上保護法が施行されるまでは売り続ける。施行されたらアンケートに“データベースに載せますよ。イヤなら断ってください”というレターを入れる」という。「そのレターさえ返送してくれない会社はどうする?」と聞くと、「明解な断りをもらわない場合は“拒否されていないもの”とする」と言う。回答しないことイコール、協力の意志がないことの表明と思っていた皆さんはどう思うだろう?
 個人情報保護法施行以降はある程度気を使っている「ふり」をするようになった。なったがしかし…、である。

 それに、すでに出回ってしまったデータは当然、もはや回収のしようがない現住所、氏名、年齢、出身校、勤務先、役職まではいった“個人情報”。仮にタンコン社自体が犯罪利用目的で売っているのではないにせよ、どこかへ流れ出たが最後、悪用しようと思えばどうとでも出来る。そんな名簿がコピーも可能なCD−Rなどで販売されていたのだ。データをパソコンに入力する作業は業者に外注。名簿に載っている可能性のある人たちは、引越しでもしない限り枕を高くして眠れないかも知れない。脳天気な会社の総務担当者が、本人に無断で勝手に回答なんかしてしまっていた日には、本人が個人情報保護にいくら気を使っていても全く意味がないことになる。クレジットカード会社や電話会社からの個人情報流出にばかり目くじらを立て、Winnyなんかにばかり神経質になっても仕方がないのである。
 余り詳しく書きすぎて、かえって犯罪を誘発してもいけないからこれ以上は止めておくが、犯罪者自身に名指しでその利用を匂わされながらも知らん顔で販売を続けているタンコン社の姿勢というのはいかがなものか。


 では、こうした情報を買う側から見た問題はないのか?
 犯罪に利用しないまでも、この個人情報リストは、例えばDMを送りたい人などには確かに便利だろう。だから“商品”になるのだが、当然、お金を出して買っている側からすれば、対価に見合うだけの“良識ある商品”であることを期待しているだろうね。
 当たり前だが、名簿データなのだから、DMならDMを出した相手が本当にそのデータの場所にいなければ意味がない。だから売る方は“情報収集力のなさ”を隠し、“道義に反して”でも必死でデータを集め、収録数を増やそうとしていたわけだ。が、数だけ増やしても、そのデータを買った相手から、「送ったDMが宛先不明で返って来た」というクレームが付くことがある(送り主にしてみれば送料その他無駄になるわけだから、そりゃそうだね)。何故か?
 大きな理由の1つは、結局タンコン社の“情報収集力のなさ”だ。調査を受ける会社が全て協力的で、「こうして回答してください」と送ったアンケートをちゃんと100%返送してくれて、更に人事異動なんかがあったらあったという“お知らせ”もくれているなら、情報の確度もそれなりになるだろう。しかし、実際そうではないので、データに収録された相手はすでに異動しているとか、会社を辞めているとか、あるいは会社自体無くなっていて、「宛先不明」ということがあるわけだ。
 「いや、ちょっと待て。辞めてしまったりすればともかく、異動くらいなら相手の会社内で転送してくれるのでは?あるいは退社でもしていれば、同部署の人が何らかの対処をするのではないか。宛先不明はおかしいだろう」と思うカンのいい人もいるだろう。もしかしたらそれは、“ダミーデータ”なのかも知れない。

 この名簿データは、加工可能な“生データ”の形で売られていた。ということは、やろうと思えば、それをコピーして転売することもできるということである。しかし、簡単にそうされてはタンコン社としての売上げに響く。この商売の中心にいた副部長の河田は、自らを“策士”と自負しているタイプだった。「ちゃんと転売対策はとってある」という。何のことかと思えば、「ダミーのデータをいくつか入れておき、転売されたものと思しき名簿が見つかったら、そのダミーが入っているかどうかで判断できるようにしてある」というのである。世に出回っている名簿データ全てをチェックできるわけでもあるまいが、彼はそう言うのだ。(それにしても、自分たちはよそ様の集めたデータを無断でいただいているのに、他社が自分たちのデータを転用していたら分かるようにしてあるというのも、随分と傲慢な話だ)
 だが、売ったデータがそのままの形で転売されるとも限らない。例えば、“全国の会社の管理職”という内容でデータを買って、自分のところのコンピュータに取り込んでから、「関東地方に住む管理職」とか、“都内の会社に勤める役員”とかいう再検索、再加工をして売る場合だってあるかも知れない。「その位のことは考えてある。ダミーはいくつか入れてある」と河田。
 ああ、そう…。ん?ちょっと待てよ。それはそれでマズいんじゃないの?だって、タンコン社が売る相手からは“1件いくら”でお金取ってるんでしょ?「ちょっとやそっと加工されても発見できるはず」なほどの“ダミーデータ”って一体何件よ?それじゃ自分のところから直接買っているお客に対しては“水増し請求”じゃん?
 具体的に総数何件のうち、何件のダミーが差し込まれていたのかは私は知らない。それについては、データを買って、DMを出したことのある人、会社の方が良く分かっているのかも知れない。せっかくのDMが「宛先不明」で戻ってきていたわけだから、その数から推測できるだろう。私が知っているのは、少なくともタンコン社がこういう商売で、年間億の単位の売上げをあげていたということだけだ。

 このデータ販売には、ある商社が販売代理店として関わっていた。その商社からも「宛先不明が妙に多い」などと問合せを受けたこともあったが、私はそれに答えることが出来なかった。ウソはつきたくなかったからである。河田はホイホイと適当に答え、マズイところは「取材方法については企業秘密ですから」などとかわしていたが、私には出来なかったのである。あるいは向こうは、「唐島に聞いても答えてくれない」と、私の能力、知識の方を疑っていたかもね。しかし、真相はこういうことだ。
 まあ、河田の説明を聞いて、向こうが全て納得していたのかというと、それも分からない。多分、妙に感じているところもあったんじゃないかな?「先ほど河田さんにお話うかがったんですけど、もうひとつ良く分からなくて…」なんて、わざわざ私に確認の電話をしてきたりしたこともあったからね。「先ほど」ならもう1度河田に聞けば良いだろう。そうしないのは、何か思うところがあったからじゃないのか?
 河田がこの商社のメンバーについてよく言っていたのは、「あの人たちはあまり聡明な人たちではないからね」というセリフだった。なめきって、都合の悪いことがバレるわけはないと思っている様子だった。この「聡明な人たちではない」という言い回しが独特で印象的だったな。要するに、「自分は聡明だ」と言っているわけだよね。相手の会社がこれを知ったらどう思うだろう?

 そのダミーデータを入れていて、実際役に立ったことがあったかと言えばどうだろう?
 1度だけ、河田が「これはうちが作ったデータだなと思われるものが出回っているのを発見した。どうやらA社に売ったデータが転売されているようだ」と、自らの“作戦”の成果を得意げに安井に話していたことがあった。しかしそれだけである。当然のことだが、仮にそれがはっきりしたところで、A社に「オタクはウチのデータ横流ししてるでしょ?」とは言えない。言えばダミー分の“料金水増し”もばれるからだ。「何となく分かった」と、河田が自己満足するだけの話。それ以降の流出拡大に対しても、何の抑止力にもならない。結局、“タレ流し”なのだ。

 では、タンコン社は自社の社員の情報についてどう扱っていたか。
 ある日、まだ私が営業部にいた頃、取引先から大阪に単身赴任になった部長について、「お歳暮をお送りしたいので、向こうの住所を教えてくれないか?」という電話があった。別にそういうやり取りはその部署では普通だったので、何ら不審ではなかったのだが、肝心なその人の“向こうの住所”をはっきり分かる人がその時部署にいなかった。「総務に聞いてみたら?」ということになって聞いてみると、「ウチの会社では、社員の個人情報はいかなる理由があっても外部に教えないことになっている」と言う。相手は明らかに取引先で、目的もはっきりしているのに「ダメだ」というのだ。
 自分たちは見も知らない会社に勝手に細かいアンケートを送りつけ、目的はオブラートに包んだまま、回答が来ないと電話で催促までして情報収集するのに、自分たちは目的が明らかな取引先にさえ、住所だけでも教えないって???
 もちろん、販売している名簿データにも自分たちの名前など、役職者であっても、社の中では「公示される」立場の人間も含めて入っていない。

 こうした問題だらけの業務内容も日に日に私の心身を傷めつけていった。「青い」といわれればそれまでだが、自分自身も「個人情報が漏れるなんて気持ち悪い」と、すでに送られてきたDMなどでも小さく切り刻んでから捨てている私が、他人の個人情報を勝手に売らされるなんて…。しかも、そのやり方は、情報源、取材先を適当な説明でごまかし、それを商品として買う方にもチョロまかし、“情報”としてプライバシーをばら撒かれる人たちの迷惑もお構いなしというものなのだ。これにはどうしても馴染めなかった。
 しかも、相変わらずの陰湿な誹謗、中傷も放置されたままである。物理的にも、精神的にも劣悪な職場環境で、問題だらけの業務を強いられる。何度も会社に改善を求めても無視され続ける。そんな状態が何年も続いた。


 信じられないことに、気が付いて十年経っても“グループ”の皆さんの誹謗中傷は止むどころかエスカレートし、社内の“ウワサの世界”では私はすっかり“人格破綻者”にされているようだった。「人のうわさも75日」と言うが、人を貶めることに血道を上げる輩にはそういう一般論は通用しないようだ。陰湿執拗ないじめ嫌がらせ。どうやらたびたび自宅に夜中かかってくるイタズラ電話も、逆に番号を調べてみると社内の人間らしかった。そんな中で私の心は日に日に荒み、社内の誰と話していても、「こいつも陰では何を言っているか分からない…」と、気分が悪くなるようになってきた。会社帰りに誰かと一緒に飲みに行くなんてこともほとんどしなくなった。いや、出来なくなった気分が悪くなってしまうのだ。毎日が苦痛。傍目にどう映っていたかは知らないが、精神的にはかなり追い詰められていった。まあ、どう映ろうがいじめている方にしてみれば知ったことではないか、むしろ喜ばしいことだったのかも知れないけどね。何しろ、総務部長公認とは言わないまでも、見て見ぬ振りの事実だったわけだから。いくら誰に相談しても改善されず…、そんな環境から逃げるようにして帰っていた。

 加えて、「社員各自に自分がやりたい仕事、適性について自己申告してもらって、考慮の上人事配置をする」などと会社がお題目を掲げる中、いわば“騙し討ち”でとても信じられない業務につくことを強いられ続けている心的負担。そもそも目の状態が悪いと言っているのに、わざわざ外に出る“営業”から電話帳のような“名簿作り”へ異動である。作業内容的にも、心理的にも本当に辛かった。私には個人データを本人に内緒で勝手に売るというのは、どうにも賛成し難い事業だった。電話会社やクレジットカード会社から個人情報が流出すると大騒ぎになるのに、何故堂々と有料で販売している会社は問題にならないのか?そんなことをさせられる位なら、私は今まで通り、営業部で良かった。事実、その分野できちんと実績も上げていたのだから、「お山の大将」でいたい人間から貶められなければ、何の問題もなかったはずなのである。

 しかも、この“名簿作り”関係の作業をするための私の席は、よりによって通風孔の真下に置かれた。顔を風に吹かれながら目を凝らして細かい画面を凝視するのである。ちょっと作業しているだけで目が乾いてくるのが分かる。今にして思えば、これも嫌がらせだったのか?管理部長に何とかして欲しいと言ったら、「自分で通風孔に蓋でもしろ」「自腹で加湿機でも買って来い」などと言われた。買ってきたよ。あまりに辛かったから。でも、オフィスの中で個人が買える大きさのの加湿機が役に立つわけがない。季節に関わらず、花粉症用やスポーツ用の目を覆うタイプのサングラスをしてみたり、大きめのマスクをしてみたり、考えつくことはいろいろしてみたがもちろん、根本的な解決にはならない。(その上、その時には「何でそんな眼鏡をしているのか?」などと、私の姿を笑っていた安田や河田は、後に私が職場環境の改善を散々頼んだのに何ともしてもらえなかったことに言及すると、「本人から職場環境についてそんな苦情を聞いたことはない」ととぼけたそうである)
 更に更に、その後、先にも書いた社屋の移転によって、通勤時間が往復で1時間も多くかかるようになり、毎日の生活のペースも苦しくなった。この移転について、移転前にはタンコン社は、「通勤時間が長くなってしまう人には、それなりの配慮をする」などと言っていたのに、結局具体的には何の配慮もなく、それについて指摘すると、総務担当者は「移転してしまったのだから、もう時効だ」などと言う。いったいどこまで無責任なのやら。目の調子が悪いと、睡眠時間の短縮は本当に苦痛を増大させるのに。

 思い余って、「やはりこの部署の業務には向かないので、配転して欲しい」と、総務・人事のみならず、直属の管理職、果ては社長、取締役たちにまで相談したが何も変らなかった。今にして思えば、これも「ハラスメント」だったんだろうな
 「データもの編集」に異動してから何度も、「本人希望」の制度が出来てからは会社との面談の度に、「異動させるか、営業に戻してくれ」と言い続けたのだが、話している時だけは調子のいい答えをするくせに、全く何の対応もなし。職場環境についてさえ、何の改善策もなし。一方、いつまでもしつこい誹謗中傷についても、「本当に困っているんです」と訴え続けた。が、1度など面接相手だった犬山克尚は、取締役という責任ある立場にも関わらず、言うに事欠いて、「君の怒りは分かるが、謝れと言われて謝るヤツはいないんでね」と終始ヘラヘラしている始末。“怒りは分かるが謝らない”とはどういうことだ?「まあ、色々言ってる方は言ってるだけで気にしちゃいないんだからさ」などとわけの分からないことを言うだけだった。何だ?コイツもグルなのか?それが責任者の態度か?言われている方は「気にしちゃいない」で済まされては困るんである。立派に名誉毀損じゃないか!その苦情を取締役の立場の人間が受けてその態度は何だ!
 しかし、すでに本人はヘラヘラなどしていられない精神状態に追い込まれていたのだ。「もう我慢も限界なんです」。真剣にそう言っても、「そんなに酷いなら、精神科のいい医者でも紹介してやろうか?」と相変わらずニヤついている。実際、本当なら、もうその辺でいい加減にメンタルクリニックに行くべきだったのかも知れない。でも、この犬山の態度、言い草に遭ったことで逆に、「こんなやつらに苦しめられつづけた挙げ句に、『精神的におかしくなった』などと言われるために病院なんか行けるものだろうか?」「どうせ仮に病院で症状を認めてくれても、その原因が会社にあるとは認めずにあくまでヘラヘラされるだけなのではないか?」と不信感ばかりがつのり、病院に行くどころか、逆に1人で耐え続けるという方向に行ってしまったのである。

 「データもの編集」部署で3年も過ごした頃からだろうか…。耐え難いほど目が痛む日が多くなってきた。チクチク、ズキズキと痛み、急に涙が出てきたりする。気は滅入るばかりだった。
 それはこういう時代であるから、全くOA機器に触れないで仕事というのも難しいだろうが、すでに壊れかけている目でパソコンを使って電話帳を編集しているという状態を想像してみてほしい。それまで何年も、おじさんたちの“便利屋”“清書屋”をやってきた上にの話なのである。それでも「こりゃもう限界」と感じる私がおかしいのだろうか?

 眼科に行くと、「眼科的にはいわゆるドライアイ」と診断されたが、大した治療はしてもらえなかった。原因や生活上の注意についても、あまり効果的な話はなかった。何軒か回ってみたが、同じようなものだった。そりゃそうだ。ドライアイだというのは1つの“症状”“結果”であって、“原因”ではない。原因はあくまで職場にあって、その職場環境が一向に改善されないのだから、いくら対症療法で目薬だけ注したって良くなるわけがない。一応、他の原因も疑って内科的な検査を受けたりもしたが、何も見つからなかった。どうしてそこまで痛むのか、原因は何なのかについては何も明言されなかった。
 ドライアイのという症状の原因は、今でもまだあちらこちらで研究されているところで、いわば「新しい病気」である。多くは環境要因のようだが、それも外的要因と内的要因があるようだ。私の場合で言えば、外的要因というのはつまり職場環境。内的要因というのはストレスなどである。どちらの意味でも、10年も痛めつけられ続けているのだから、良くなりようがない。それを何度も真剣に訴えているのに、会社にはヘラヘラとした態度を取られるばかりだったのだ。もはや“未必の故意”、“傷害事件”である。警察や労働基準監督署の強制査察が入ってもいいんじゃないのかと思う。

 やがて目の痛みは、表面のチクチクとした痛みから、焼け付くような痛みに。目の奥の重い感じが、何かで刺されているような痛みになっていった。更には、土日だけ休んでも回復しなくなってきて、やがて毎晩寝るのにも苦労するほど、ジンジンとした痛みが24時間引かなくなった。症状は、ゆっくりだが確実に悪くなっていった。夜、布団に入って眼を両手で覆い、「そのうち失明でもしやしないか…」などと思いながら、寝付けるのを待つのだ。
 眼科に通うだけではなく、一般に「目にいい」と言われるものはあれこれ試した。朝食はトーストと決め、必ずブルーベリージャム。ビタミン剤のサプリメントなどを飲み、辛さが増した時には冷やしてみたり、「いや、暖めた方がいい」と言われれば暖めてみたり、果ては「あそこの神社は目の神様だ」と言われる神社にお参りにも行った。もちろん、毎日会社から家に直行、規則正しい生活と睡眠時間を心がけた。しかしだ。何しろ、何度会社に言っても、“原因”が放置されたままだったのである。

 目の痛みだけではない。そのうち、ふとした瞬間に目眩がしたり、寝る時にかけた布団の重さで息苦しくなったりするようになり、大きな病院にも行ってみた。しかし、これといった原因が見つからない。その代わり、眼科を含め、どこでも言われたのが、「ストレス溜めてないですか?」。そりゃ溜めてますよ。溜めてるんです。でも、その心あたりを、「会社で執拗に嫌がらせを受けてまして」とか、「何年越しで改善を要望しているけど無視されているんです」「総務部長が『これはイジメだよ』とまで言いながら、結局ほったらかしなんです」などとは中々話せるものではないまた、話してもどうなるものでもなかっただろう。医者のせいではない。タンコン社内の変な人たちと、無責任な人たちのせいなのである。

 あちこち医者にかかっていることも会社に話し、せめて職場の異動などの対処を願い出たこともあったが、その時応対した役員の高岡裕史は、私のその前年の医療費の金額を聞いて「へぇ、そりゃすごいな」と言っただけで終りだった。何の対処も改善もしてはもらえなかったのだ。今にして思えば、これ自体も嫌がらせの一環だったのかもな。



↓例えば、「個人情報保護」と入力してGO!↓


←back

inserted by FC2 system