第三章

話にならない人たちとの話



 話は遡るが、私は、タンコン社入社当初は営業部にいた。
 営業部とは言っても、“企画営業部”という、デスクワークの多い部署だった。あれやこれやの文書を作る仕事が多かった。しかし、困ったことに私を含めて6人もいる部員のうち、最も若いのが私。ワープロで企画書を作って出さなければならないのに、仕事レベルで機械を使えるのは私を含めて2人。そのうち1人はなぜか、「新事業のため、ここの部署の仕事はしない」という、妙な業務命令を受けていた。つまり、ワープロで文書を作る必要がある部署に、ワープロを使いこなせるのは実質1人という状態だったんだな。「んな、アホな!」と思われるかもしれないが、事実だから仕方がない
 先輩社員、というか部長始めとしたおじさん達は、面倒なことはしたがらない。ワープロなんか触りたがりもしない。操作を教えようとしても、最初から覚える気がない。よくある言い訳、「俺が触ったら壊れるんじゃないかと思ってさぁ」などと言って逃げまくっていた。当然、私に仕事が集中した。

 印象に残っている出来事がある。その時、私は1人で4つの業務を進めていた。立て続けに締め切りを迎え、しかもその1つのケリがつくともう1つが始まるという、予定の込み合った時期だった。そこへ当時の部長、友部政生がやってきて、
「唐島君、これちょっとワープロで清書してくれないかな」
と1枚の手書きの紙を差し出した。私以外のおじさん達は、自分を含めて手が空いているのに、である。いい気なもんだ。そもそもの持分でてんてこ舞いしていた私は、それでも丁寧に、
「今ちょっと担当業務が重なってしまっているので時間がないんですよ。それほど難しい文書でもないみたいだから、練習がてら、ご自分でやってみていただけませんか?」
と言ってみた。すると友部はしゃあしゃあと、
「いや、俺がやるより君に頼んだ方が早いだろ?」
と言う。そういう問題じゃあない。こちらは締め切りに追われて手一杯なのだ。しかも、そういう業務配分でやらせてるのは当の部長様なんである。
「いや、もうこれもこれも締め切りが迫っているので、一段落するまではこっちが最優先なんですよ。(つーか、そのくらいのことが分からんのか?)いくら何でも、こちらが一段落するまで待っていただくよりは、少しでも部長がご自分でなさるか、他の方に頼んで進めていただいた方が早いと思いますけど」
と言うと、
「そうか…、じゃあ自分でやるかな…」
と一旦は諦めてくれたかに見えた。
 ところがである。夕方になり、私は他の部署との打ち合わせで小1時間も席を外した。そして、「さて、今日中にもう1つの仕事も済ましておかなければ」と戻ってみて驚いた。件の手書き原稿が、次のノルマの原稿の上に投げてあるのである。添えられたメモには、「やっぱり頼みます」と書いてあった。
 さすがにこれには怒り心頭に達したね。この部長さんは、お昼過ぎから夕方近くまで、隣のビルの喫茶店で時間つぶしをしていたことに、私が気が付いていないとでも思っているんだろうか。しかも、他の「部員」のおじさん達も、その時何も担当していなかったのである。いくらワープロ打つのが遅くたって、ペラ1枚清書くらいのことを、手の空いている人が出来ないのだろうか。あるいはやろうとは思わないのだろうか。(しかも信じられないことに、後にこの部長は、「唐島ばかりにワープロ打たせていたなんてことはない」と言ったらしい。厚顔無恥とはこのことだ

 一事が万事、こんな調子だったから、入社当時それほど悪くもなかった私の視力は、「昨日見えていた壁のカレンダーが今日は読めない」というペースで落ちていった。しかも、社内作業の多い企画営業部は、悪い意味で“体育会系”の営業部の中で、外回り中心の営業部より「格下」みたいな言われ方をしていたのだから、気分的にも滅入る。割に合わないと言ったらなかった。

 6年近くも経った頃、企画営業部から単なる営業部に異動の話がきた。正直、「助かった」と思ったな。目が悪くなって仕方がなかったからね。視力もだが、疲労もかなりのものだった。
 この頃すでに、ワープロやパソコン作業をする場合の、いわゆるOAストレスが話題になっていて、当時の厚生労働省から職場環境整備のガイドラインも出ていた。しかしタンコン社では、編集部門はそれなりに環境整備の予算もスペースも取ってもらっていたが、営業部門では必ずしもあまり気を使ってもらえなかった。そんな状況だったから、「営業部にいる限りは外回りの方が働きやすい」という感じだったのだ。

 それに、タンコン社の古いビルは換気が悪く、禁煙も分煙もされていなかったから気分が悪くなるのを通り越して、目眩がする時さえあった。でも、ありがちな話だが、タバコを吸う人間は自分がタバコを吸う権利は主張するが、その吐き出した煙を吸いたくない人間には概して気を使ってくれない。しかも、ちょっとでも遠慮してくれなどと言おうものなら、即“逆ギレ”したりするようなタチの悪い人もいる。
 阿久根治郎というおじさんがそうだった。彼の席は私の隣で、しかも空調がその向こうにあった。つまり「風上」だったんだ。そこで遠慮会釈無しに吸いはじめるものだからたまったものではない。ある日、書類を作っていて席をはずせなかった時、ついに耐えかねて、
「阿久根さん、ちょっとタバコ遠慮してもらえないですか?」
と言ってみた。そうしたら、正に即逆ギレされた。
なんやお前!うるさいこと言うなや!
と。「仮に自分が虫の居所でも悪かったとしても、迷惑かけているのは事実なんだから、そういう言い方は無いんじゃないの」と思ったが、あまりの豹変振りに驚き、「こういう人と言い合っても埒があかない」とやめてしまった。しかし、こんな人でも自分の機嫌がいい時にはやたらヘラヘラしているタイプなので、きっといい人だと勘違いしている人もいるんだろうな。困ったもんである。

 営業部に移ってからの問題は、こうした周りの人間であった。取引先の人たちとは概ね上手くいって、と言うか良くしてもらって、不景気と言われる中、順調に成績を伸ばすことが出来た。部の成績が前年割れを続ける中、私の成績は毎年順調に伸びていった。ところが、社内にはそれがかえって気に入らない人たちがいたようだ。それが上司だったりした日には、こりゃどうしようもない。

 この頃の直属の上司、上川利明は、部下の中で“タイコ持ち”タイプの下島洋昌が特にお気に入りだった。下島というのは私と同い年だったが、私とはあまり付き合いもなかった。世の中、お調子で渡っていくタイプだが、その実非常にプライドが高いらしく、自分と違うやり方は受け入れられない性格だ。だから、一生懸命おべっか使ったり、調子のいいことを言ったり、交際費を使って営業している自分より、黙々とやっている私の方が成績を上げてしまうのが気に入らなかったらしい。もちろん、部下の間でその位の合う合わないがあったとしても、部長の上川が管理職として有能であれば上手く仕切ったのだろうが、そもそも下島とベッタリであるから、下島をお供に飲みに行っては、「何で唐島があんなに成績を上げられるのかわからない」と一緒になって陰口を叩く始末であったらしい。
 ある日、上川が「最近ウチの部はたるんでいる。朝も大遅刻でないにしろ、時間にルーズなのが目に付く。多少電車が遅れたりしたとしても、定時から最低10分遅れくらいでは出社しろ!」てなことを言った。ある部下への当てこすりであったのだろう。しかしその翌日、下島が1時間も遅刻してきたのだが、お互いに顔を見合わせ、ニヤリとしただけで終りだった。他の人間が10分遅れてきたら、「言った翌日から云々」と小言を言ったその舌の根も乾かぬうちにこれだ。そんなにあからさまにエコ贔屓されてはなあ。実際、部の中で一番時間にルーズなのは下島だったのだが、上川に注意を受けている姿を1度も見たことがない

 私は、あまり“交際費”で営業をする方ではなかった。当時、経理部員だった早瀬恵からも、「唐島くんて、ホントに交際費使わないね。何で?他の人はものすごく使ってるよ」などと言われたくらい。赤字会社なのだから、別に使わなくて済むなら使わないに越したことはなさそうなものである。しかし、これが「仕事にかこつけて会社のカネで飲みたい人」には迷惑なことだったらしい。「1人でええかっこするな!」というわけだ。

 部長の上に本部長、副本部長がいたが、この人たちがまた面白い人たちだった。特に、副本部長だった鹿島総一は、私が入社当時の直属の上司でもあったのだが、新規顧客も順調に開拓し、営業部員として成績を伸ばしていた私に向かって、「あんまり新規顧客を引っ張ってくると、顧客名簿管理が面倒だから引っ張ってくるな」などと、信じられないことを言い放つ始末だった。そりゃ会社の業績も上がらないはずだよ。

 そうかと思えば、この部に所属していた時には、「部会」と称する酒席において、信じられない暴力沙汰にまで遭ったこともあった。下島が、酔って私に寄って来たかと思うと“ヘッドロック”をかけてきたのだ。ふざけているつもりなのだろうと思って、さしたる抵抗もせずにするがままにさせておいたらどうも様子がおかしい。妙に息を荒げ始めたと思ったら、そのうち私の目に指を突っ込みながら、「目ェつぶしてやろうか、ええ、おい」などとスゴミ始めた。すでに引っかきながら、つぶしてやろうかもないもんだ。こちらも酔ってはいたがさすがに危険を感じ、下島の手を押えながら「さて、どうしたものか?」と考えていた。無理矢理離すことも出来たが、いいオトナでこういう行動をとる輩に出合ったことがなかったので、どう対処していいのか、“力”で対抗して尚更ムキになられてもと躊躇したのである。それにしても、下島の酒癖の悪さは話には聞いていたが、ここまでとは常軌を逸している。どうやら、自分が「大変だ、大変だ」と自己宣伝しながらやっている営業の仕事を、自分とは違うやり方でさっさとやられてしまうことで、日頃から私を疎ましく思っていたらしい。それが酒に飲まれて暴発したのだろう。それにしても、三十路を迎えてここまで品性、理性のない人間にあったのはこれが初めてだった。
 やがて、下島の異常行動に気がついた上川が、やはり同席していた阿久根に、「おい、止めて来い」と言う声がし、阿久根が下島を引き離しに来た。信じられないことに、引き離された下島は、もう今自分が何をしていたか忘れたかかのようにヘラヘラと笑っている。これだけでも信じられないが、更に信じられないのはその後だった。

 この時、私はハードコンタクトレンズをしていた。していなかったら、直接眼球を引っかかれて、もっとエライことになっていたかも知れない。翌日、眼科へ行ったら、コンタクトのおかげで、外傷は瞼の引っかきキズだけで済んだが、逆にコンタクトはキズが付いてもう使い物にならないという。
 医者から会社に戻って、その話を下島にしたが、あろうことか一言の謝罪もない。それどころか、「酔っ払っていたので何も覚えていない」と言う。「酔っていれば何をしても許されるというものじゃないだろ。少なくとも、コンタクト代くらい弁償するのが当たり前じゃないのか?」と言ったが、そのままヘラヘラと笑いながらその場から逃げてしまった
 そのまた翌日、翌々日になっても一向に謝罪も何もないので、言いたくはなかったがここで黙っていればまた一言の詫びもなく、いい加減に、うやむやにされるだけだと思い、もう1度だけきちんと「謝罪と弁償くらいしろよ」と言ってみることにした。
 ところがである。そう言われた下島は、ちょっと困った顔をしながらその場からそそくさと逃げたかと思ったら、阿久根を連れて戻ってきた。そして、「自分は酔って覚えていないので、阿久根さんにどういう状況だったか聞いたら、唐島さんに組み付いたのは事実だが、何でそうなったかと言えば、お前が先に酔って暴れ、同席していた女子社員の都留藍子にカラオケ本で叩いたり、おしぼりを丸めて投げつけるなどの暴行を働いたので、止めに入ってそういう状態になったものだそうだ。ケガをさせたのは言わば不可抗力だ」という。
 いやはや、目が点になるとは正にこのことである。それもこれも、お前がやったことじゃないか!都留藍子が酒席にいると、必ずそういう暴力的な“ちょっかい”を出すのが下島の“習慣”であった。毎度毎度の自分の乱痴気まで人のせいにして言い訳するとは、なんと下劣な人間であろうか。私は酒を飲んで暴れたことなど、生まれて此の方1度もない。
 あまりにも異常な言い訳にしばし絶句してしまったが、阿久根がそう言ったとあくまで下島が言い張るので、横にいた阿久根に、「阿久根さん、あなた本当にそんなことを言ったんですか?」と聞くと、「いや、俺も酔っていたから覚えてないんだけどさ…」と言う。「阿久根さん、これは厳しく言えば立派に暴行、傷害事件なんですよ。私がもし出るとこに出るといったら、あなた今言ったような状況でしたとハッキリ証言できるんですか?」と聞くと、阿久根がモゴモゴと何かを言おうとした瞬間、それをさえぎって下島が「ああ!だからとにかくコンタクト代は払うからッ」と1万円札1枚を投げつけ、阿久根の腕を引っ張って、呆然とする私を残してその場を去ってしまった。あまりの態度にしばし呆然としてしまった。
 こいつらの理解し難いところは、更にこの後だ。その場を離れたと言っても、ついたてを隔ててわずか3、4mかそこらのところで立ち止まり、そこにいた都留藍子、上川利明らと“打ち合わせ”を始めたのである。「実際どうだったんだ?俺は見てなかったんだが」と上川が都留に問い掛けたが、この都留がまたトボケて、「えー、私よく覚えてないですぅ」などと言っている。お前らみんなボケとるのか?「その場に割って入って文句を言えばよかった」と後から別な人に言われたりもしたが、人間、理解を超えてバカバカしい目に遭うと、文句を言う気力も失うものだ。文字通り、“呆気に取られて”しまったのである。

 この話の後、用があって別な部署の先輩社員、関口博子のところに行った。どうやら、私の表情がおかしかったらしく、「何かあったの?」と聞かれた。私は、自分から不満を周囲に積極的に言って回る方ではないのだが(タンコン社においてはそれがいけなかったのかも知れないが)、この時は聞かれたので、実はこれこれこうと事情を話した。すると関口は、「都留ちゃんは何て言ってるの?いくら下島君がウソを言ったって、叩かれた本人がちゃんと『いえ、私の叩いたのは下島さんです。唐島さんじゃありません』て言えば分かることじゃない。だいたい私だって、暴れたのは下島君だって知ってる。だってその飲み会があったという翌日に、都留ちゃんが『昨日も下島さんが暴れて大変だった。唐島さんにまでからんでた』って話してたもの」と言う。あらあら、じゃあ都留ちゃんはほんの2日前に自分がシラフで話していたことを、今日はもう覚えてなかったんだね。ここでまた私の悪いクセ、“絶句”が出てしまい、そのことを関口には言えなかった。言えないでいたら、関口は続けてこう言った。「下島君や阿久根さんはいい加減な人たちだけど、都留ちゃんはしっかりした子だから、ちゃんと聞けば彼らと一緒になってウソを付くような子じゃないと思うよ」。はぁ、そうですか…。

 「ダメだなぁ」、と自分で思うのは、こういう時に「とんでもない。実際これこれこうで…」とか、「じゃあ、関口さんからも言ってやって下さいよ」などと徹底的に文句を言えないことだ。何かバカバカしくなってしまうからなのだが、タンコン社のような、“人の悪口は先に言った者勝ち”の土壌では、そんな良心とか“奥ゆかしさ”なんてモノは通用しないのだ。多分、私の人生最大の失敗は、タンコン社のようなところで、キレイに生きようとしてしまったことだな。そのせいで、この件についても下島に、一方的に悪いのは私ということで広められてしまったようだ。

 下島の姦計、逆恨みは更に新たな“刺客”(?)を呼んだ。
 佐々木一博という編集部門の人間がいた。ある時、部長の上川が、その佐々木が新雑誌の企画を立て、営業部門の意見も聞きたいと言っているという。しかし、その企画というのは、斬新ではあるが現実的にはちょっとどうかなと思えるものだった。「お前の意見を言え」と言われたので、どう言ったらいいかと悩みつつも、遠回しに「やや困難ではないか」という意味合いのことを言った。しかしだ。これをそこに同席していた下島が、ここぞとばかりに佐々木に、「唐島が『こんなものはダメだ』と酷い言い方で批判をしていた」てな感じで、悪意アリアリで佐々木に伝えたらしい。また“先に悪く言いふらした者勝ち戦法”というわけだ。
 もっとも何か言いたいことがあるなら、あるいは本当に私がそんな言い方をしたのか気になるなら、佐々木も本人に直接聞いてくれれば良さそうなものだが、そういう性格の人ではなかったようだ。もっとも、この佐々木については、私が付き合った中でも最悪という“無責任外部ライター”が懇意な友人だったりとか、あまり役に立たなかったので2度目の仕事はあげなかったリサーチ業者が、これまた彼の“つながり”だったりというような、変な“因縁”もあった。もちろん、上司を入れての業務上の判断であるから、それで私個人に対して逆恨みされてもと思う。が、困ったことに逆恨みするような人は、理屈はどうあれ逆恨みするものらしい。かくして、この佐々木も私の根も葉もない悪評を広める急先鋒となったようだ。
 先輩社員の大倉珠美は、佐々木と年も近いので彼とたまに話すこともあるという。その大倉によれば、佐々木は中学の時の嫌いだった担任の先生の家に、三十代も半ばを過ぎようというのに、未だに恨みに思ってイタズラ電話をかけているということを楽しそうに話すような人物だったという。「ホントなのよ。最初は冗談のつもりで言っているのかと思ったら、本当の話だって言うんで、かなり気持ち悪かった」。その他、あんな話やこんな話がと聞かせてくれたので、私が「実は」と自分との経緯を話すと、「エライ人に引っかかっちゃったわね」という。そんなこと言ったって、確かにちょっと変わった人だとは思っていたけど、「中学の先生にイタズラ電話を20年」なんて人、普通誰も想像もしないだろう。

 こういう人たちに逆恨みされたおかげで、私の評判はどんどん落ちていった、らしい。「らしい」というのは、あくまでこういう話は“陰口”で、自分に面と向かっての批判なり、意見ではなかったからだ。きちんとした話ならこちらもきちんと対応できるが、人を陥れるための“姦計”、“陰口”への対処には限界がある。気がついた時にはエライ事に…、ということだ。
 たまに私の耳に、「こんなこと言われてるよ」と報告してくれる人もいた。聞くたびに「いやはや、無責任な」と思ってしまうのは、筋を追って聞いていくと、必ず矛盾している話なのに、ウワサというのは実に適当に広がっていくものだということだ。しかも最初に聞く話と、しばらくして聞く話では、同じ話でも明らかに後から聞くものの方がエスカレートしていた。つまり、明らかに誰かが作っているのである。「噂話というのはそんなもの」と笑っていられるうちはいいが、いつまでも際限なくやっていられると、いい加減どうしたものかと真剣に悩むようになる。神経に障ってくる。外部の会社の人からまで“情報”が返って来るようになればなおさらだ。どうやら情報源は下島ら2、3人と思われたが、証拠まではないから困ったものだ。もっとも、何か文句を言ったところでトボけるだけなんだろうな。こういう輩は。

 それでも、「やることさえちゃんとやっていれば分かる人には分かってもらえているのだろう」と思っていた。筋道立てて考えれば、明らかにつじつまの合わない噂話や、そんなレベルの悪口など、真に受ける人は少数派だろうと思っていた。オトナなんだからね。でも、そうでもなかったようだ。
 下村典孝という、これまた“呑み助”で有名な管理職は、昔から「唐島は真面目すぎて気に入らない」などと言い放っていたという。会社のために真面目に実績を上げていて悪く言われるのでは、どうすればいいんだろうね?そんな社員が幅を利かせているようだから傾くんじゃないのかと思うが、その下村も下島の策略に乗ったのか、いつの頃からか「唐島は不真面目でしょうもない奴だ」と言いふらすようになったようだ。1度だって一緒に仕事したこともなく、それどころか私とは大して話もした事ないくせによくまあ好き勝手言ってくれるものである。

 下島にご機嫌とってもらうのが大好きだった上川はともかく、私の最初の上司であった鹿島も、いつの間にか下島や今井田なんかを連れて飲みに行ったりするようになっていた。別に私はタダ酒飲ませて欲しがる方ではないので、飲みたい人が飲みたい人同士で出かけるのは結構なのだが、仕事では何でも「任せた」の一言で私に丸投げして、いいように使っておいて、まさか下島なんぞとつるんで陰口叩く方にまわるとはね。その下島に陰では「昼行灯」などと陰口叩かれていることを知ってか知らずか、自分の上司として何とか立てようとしていた私の方を裏切るような人とは思わなかったな。人間とはわからないものだ。

 まあその点、下島の「社内営業力」が優れていた(?)と誉めてやるべきなのか?外での説得力は大して無くても、社内で「俺は仕事してるんだ」と“誇大”宣伝する力はあったのかもね。
 一緒の部隊にいた時もそうだった。「不景気で、新規顧客を開拓するなんて難しい」と部長の上川が言い、実際下島他の営業マンが売上げを落とす中、きちんと新規顧客を開拓し、数字を上げていた私より、「そうですよね。苦労しますよね。大変ですよ〜」と相槌打ってるだけの下島の方が明らかに可愛がられてたしね。「やってるふり」もサラリーマンには大事なのかも知れない。特に上がナニな人の場合はね。
 営業企画を立てて、部員皆で「ではこの線で頑張りましょう」となった後、下島は自分の顧客に「こうしてくれれば予算を出す」なんて言われてしまうと、自分だけの都合で「じゃあやります」と勝手に企画を変えてしまう。すでにそれぞれの担当顧客に、当初の企画通り案内をしてしまっている他の部員から文句が出ても平気で居直る。その上、部長の上川の裁定が下島びいきでなあなあにしてしまうのだから困ったものだ。挙げ句に、副部長の川内が下島の態度を咎めた時でさえ、上川は川内の方を悪く言い、部署から追い出してしまった。下島と何らかの対立を持つと、仕事自体成果を上げていても部署から追い出される。そんなこんなで、1人いなくなり、2人いなくなり…、やがて私もその部署から出されることになった。「軽口叩くより、上げた数字が全てを物語っているだろう」、と思っていたがそうでもなかったらしい。いわゆる「好き嫌い人事」の典型で、“実績”“数字”が評価されないのだから、そりゃ会社も傾くわなぁ

 ある日、突然の担当換えがあり、私が持っていた顧客うち結構な数を阿久根が引き継ぐ事となった。しばらくして、その引き継いだ顧客の中の1つから電話がかかってきた。「あ、唐島さんですか?何で唐島さん、ウチの担当外れちゃったんですか?何で阿久根さんが担当になったんですか?あの人いい加減で困るんですけどッ!」。
 「大変に申し訳ないけど、それは部長に言ってください」としか言いようがなかった。仲良しグループに対する苦情など、私の口から伝えたら、またどれだけ逆恨みされるかわからない。会社経営もその辺もう少しよく見て、対策を考えてくれれば良いのにと思ったが、どうしようもなかった。仮に良かれと思って言ってみたとしても、会社の上層部なら公平公正という保証もないのだ。

 しかもこの後、世の中の、というか、この会社の不条理を証明するように、同年代の社員の中で、下島が1番に「管理職」にご出世あそばされた。これにはさすがに驚いたな。どう考えても、実力実績から考えれば、年も1つ上の大山広澄や陣野剛志の方が当然先だろうと思っていたけど。酒に飲まれて、暴力事件(相手が訴えないから問題にならないだけで)を起こすような、自分も管理できないような、しかも素直に謝罪も出来ないどころか、作り話をしてまで被害者に責任転嫁しようとするような人間が管理職って…。この会社も何を考えているんだろ?

 などということを思っていたらそれが態度に出たのか、なおさら「標的」にされるようになってしまったようだ。こうなってくると、スジとか善悪とかの問題ではないらしい。

 あまりにも卑怯で、陰湿な陰口などくだらない嫌がらせが執拗に続くので、そのうち本当にノイローゼになってきた。仕方なく、上級の管理職や、総務部、果ては社長にまで苦情を言ったりもした。
 すると話を聞いた当時の総務部長、木下乙矢は信じられないセリフを口にした。「まあ、これは要するにイジメだよね。誰でも異質なものに対しては、ある種の恐怖感を覚えるものなので、できれば排除したいというか…」。この言葉を聞いて、一瞬固まった。何だ?私はイジメられているのか?地道に業績をあげようとしているのに、足を引っ張られているんだと思っていたが、イジメ?この会社では真面目すぎると“異質”扱いなんだ。そっかあ。はぁ…。
 「まあ、俺も君の部署の雰囲気は社内でも独特で、自分も合わないなとは思うけど…」。だからさ、そういうこと言ってる場合じゃないんじゃないの?総務の責任者としてはさ?社員が業務に支障をきたすほどだと苦情を言っているんだよ?「君はいじめられてるんだよ」ってのは、総務部長が言うセリフなのか?
 それにしても、「自分と異質だから」って陥れたがられても困る。困るけれども、そういう人たちは確かにいるらしい。「唐島は真面目だから気に入らない」。真面目なのが気に入らないからって、評判悪くするために、「実は陰ではこんなヤツなんだぜ」と作り話をされてもなぁ。それは“名誉毀損”“侮辱罪”という立派な犯罪行為だ。少なくとも、管理職まで一緒になってすることじゃないだろうに。その上、総務部長が言うに事欠いて、平然と「これはイジメだ」って、もうわけがわからない。



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