第二章
貧すれば…
それでもまだ、90年代前半くらいまでは、社内の雰囲気もまだ牧歌的だったな。だがやはり、バブル崩壊以降、やたらと「合理化」が唱えられるようになると、妙にギスギスした雰囲気になってきて、今まで以上に人の足を引っ張りたがる輩が増えてきた。
その引き金の1つは、「賃金カット」だろう。それまでは同業者の中でもまあまあの給料をもらえていたのだが、それを会社がいきなり「2割カットしたい」と言い始めた。一時金だのも考えると、年収3割減だ。フトコロが寂しくなれば、人に優しくできない人も出てくる。必要以上にギスギスする人も出てきた。
さらに問題はその後。それだけ人件費を減らしても、タンコン社の経営陣は、会社を立て直せなかったのだ。バブルの時代にさえ、単年度黒字が1度だけという、後は不動産収入で食いつないでいた会社は、人件費を減らしても結局ダメだったのである。そりゃそうだ。売れるものを作れない、作らない、作らせないのではね。
タンコン社の創業者は、今から見てもかなり「先見の明」のあった人だと思う。何十年も前の話とはいえ、自ら興した小さな出版社を、一代で都内の一等地に自社ビルを構えるまでに育て上げたのだから。
しかし90年代半ば、時の経営陣は、その長年慣れ親しんだ所在地を離れると言い出した。現在ある場所を引き払い、いくつかの不動産に分割し、「イザという時には切り売りしやすくする」のだと言う。「ん?イザという時?切り売り?」と疑問に思ったが、結果は案の定だった。
都内の一等地にあった元の会社の土地は、なんと不景気な中、200億近くで買い手がついたという。長引く不況の中、ものスゴイ話だ。それだけの資産価値があるなら、貸しておいて賃貸料を取る方法もあるのではと言った社員も少なくなかったが、経営陣はそうはしなかった。そして、その売却代金で5つのビルを買ったという。タンコン社自体もその1つに移転した。比較的新しい中古ビルだったが、雨の日には窓枠から雨漏りするようなところだった。
驚いたのは、この社屋移転から4、5年も経った頃に開かれた、社員集会での経営陣の説明だった。
「現在の会社の経営状態について説明します」と言って始まった話の中で、担当役員の1人はこんなことを言い始めたのだ。
「え〜、○年に前の社屋のあった土地を売却して200億の資金が出来、5つのビルを購入したわけですが、現在では今いるこの社屋と、もう1つしかありません。つまり数年で150億ほどが消えてしまったわけです」。
はぁ?何じゃそりゃ?
事業資金を捻出するために、前の土地、社屋を処分したんじゃなかったのか?「消えてしまったわけです」って、その他人事みたいな言い方は何だ?
更に異様だったのは、それについて誰も何も質問も文句も言わなかったことだ。どうしてなんだとか、どうするつもりなんだとか、社員の誰も聞かない。私が何も知らなかっただけなのか?それとも誰もが諦めてしまっていたんだろうか?
と思ったら小声で、「ああいう言い方をするということはまだ大丈夫!」なんて言ってる社員もいる。経営が非常事態を社員に説明しているにしては、説明する方もされる方も緊張感のない説明会。あの不思議な光景は、今でも忘れられない。
集会が解散してから各々職場に戻る時、誰かが言った。「要するに、運用に失敗したんでしょ」。
そんな冷静に言っていられる金額だろうか?
こんなタンコン社の主な出版物は、なんと経済・ビジネス雑誌や投資・運用情報誌だったりする。しかしその内情は、よそ様の会社について、「経営分析だ」などと云々している場合ではなかったりもする。というより、内情を知られたら、「人の会社のことをとやかく言える立場か!」とお叱りを受け、読者からは「なんと説得力のない…」と呆れられるのがオチである。春闘の時なんか、経営陣が従業員から、「この本にはこれこれこんないい事が書いてある。これはどこの本だと思う?ウチのだ。ウチの会社はこんないいビジネス書を出しているんだぞ。あんた達は自分のとこの本を読んでいないのか!」などと罵倒されるという、漫画みたいな場面が展開していた。
だいたい、これまで本業で十分な利益を出せなくて、不動産収益で補填していた会社が、本業を立て直せないうちにその不動産を手放してしまったらどうなるか。小学生でも分かりそうなものであるが、タンコン社はそういう選択をした。その結果は当たり前のように当たり前の結果だったのである。
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