第一章

思えばおかしなトコでした



 私、唐島明がタンコン社という、結構古い出版社に入ったのは、今にして思えばいわゆるバブルの頃だった。その時はまだ「バブル」なんて言葉は誰も口にしていなかったし、知りもしなかったけどね。

 恐らく、だけど、タンコン社ってのはその頃の日本の中でも変わった会社だったんじゃないかなぁ。まあ、出版社なんてのは多かれ少なかれ、ちょっと変わったところが少なくないものだけどね。

 「夜遅くまで残業があってツライ」と言いながら、昼間から酒飲んでる人とかもいたなぁ。若かった自分は、「その時間にさっさと仕事片付けて、さっさと帰っちゃえばいいんじゃないの?」なんて思って見てたけど…。そういう人は残業自体、飲みながらが当たり前みたいだったし…。「赤字だ、赤字だ」って言いながら、あまり儲からないもんばかり作ってる会社だったね。
 でも、まだあの頃は、自分たちが作るものに「誇り」と「良心」を持っている人たちがいたんだよな。変った人ひとたちだけど、いい意味で「サムライ」でもあったと思う。

 そういうのとは違う面でも、90年代半ばくらいまではいろいろやってる人がいた。世の中も浮ついていた頃には、「今週はハッパが入るからパーティーだ」とか言って喜んでるヤツもいたな。現場見たわけじゃないから、ホントだったのか冗談だったのかは知らないけどね。そんな彼も、今ではタンコン社の管理職だ。出世とモラルはあまり関係ない会社らしい。


 90年代というのは、出版、印刷業界に大きな変化が起こった時期だった。パソコンが一般的に普及するのと同時に、フリーのライターやデザイナー、あるいはカメラマンなんかまでが仕事のデジタル化を迫られた。ほんの少しまでは、大手の印刷会社なんかでさえ、「何百万もする割には使えない」なんて言ってたDTPが、やがて10万円のパソコンだってカンタンに出来るようになっていった。その波についていけなかったおじさんデザイナーなんかは廃業を余儀なくされた。でも、タンコン社みたいな古い会社に元から社員としていたおじさん達の中には、自分ではOA仕事が出来なくてやる気もなくても、私たちみたいな世代に押し付けることで生き残れてる人も少なくなかったね。その私たちの世代でさえ、使いたがらない人、出来ない人は「僕ワープロ苦手なんです」でまだ通ってしまう時代、「過渡期」だった。もちろん、積極的に使い方を覚えて、バリバリやってる人もいたけど、私のいた部署では少数派だった。その“しわ寄せ”で、なまじ機械には元々強く、OA仕事を一手に引き受けさせられた私は、どんどん視力も落ち、その後も辛い思いをすることになってしまった。「唐島君だったら、このくらいチョチョイだろう」。それがワープロにさえ触りたがらないおじさん達の口癖だった。「自分ではこれっぽっちもやりもしないで、そういう言い方はないんじゃないの?やったことないんだから、これを続けるのがどの位つらいかなんて分からないだろうに」と思ってはいたが、若いうちはそうも言えなかったんだよなぁ。一方、同じ部署で同世代でも、外回りのヤツは新人のうちから、「あ、ちょっと約束が…」なんて言って、人の仕事は一切抱え込まないで済んでいた。不公平だったね。その上、一方では「あいつは機械にかじりついてるのが好きなオタクなんだ」なんて陰口叩かれたりして、全く割に合わなかったな

 要するに、いい加減な会社だったから、適当にいい思いをする人、会社の予算で遊べる人と、ただいつも真面目にやって貧乏くじを引かされる人がいたわけ。どこの会社でも、多かれ少なかれあることかも知れないけどさ。

 タンコン社の最大の短所の1つは、悪い意味で「村社会」なところだった。人事は「仕事が出来る」とか、「実績を上げた」とかではなくて、いわゆる「仲良し人事」の典型。飲み友達とお供の若いが、おエライ方の周りを固めるという構図。そういうグループと「ノミニケーション(死語?)」のない人の重用はほとんどない。それでもそういうグループの人たちが有能で、会社の業績が上がっているなら結構だが、どう見てもそうは思えない。何しろ、あのバブル華やかなりし頃にでさえ、1度しか黒字を出したことがないというのだから。取引先も、まさかそこまでの経営状態とは思ってないんだろうな。

 その「村社会」を形成している連中の“タチ”の悪さにも困る。自分が嫌いとなったらそのターゲットについて、会社の内ばかりでなく外にまで、あること無いこと(という表現を使う時には大抵、「無いこと無いこと」の意味だが)言いふらし、個人の信用を失墜させる。本人がイヤになって出て行くように仕向けるわけだ。それでも出て行かない時には、様々な直接攻撃に出る。仕事を与えない。あるいは過重にする。嫌味ばかり言うかと思えば無視してみたり、などなど。まるで小学生だ

 ある中途入社の女子社員がいた。90年代半ばに入ってきた人だったが、ある時こんな話をされた。

「唐島さん、酷いんですよ」
「何が?」
「おととい、私物のノートパソコンを会社に置いて行っちゃったんです。それが昨日来てみたら、液晶画面が割られて、ヒビが入ってるんです
「机の上に画面開けて置いといたの?」
「いいえ、閉めて電源も切って、机の引出しに入れて…」
「…それじゃ、たまたま何かをぶつけてしまったのに気づかなくてとかじゃないね。誰も名乗り出てこないの?」
「ええ、誰も」

 まだ、ノートパソコンなど持っているのは、かなり「やる気」のある人だけだった頃の話である。どうやら彼女の場合、その「やる気」がそこの部署の先輩社員(これも「仲良しグループ」の中堅どころだ)にお気に召さなかったらしい。自分が「大変だ、大変だ」と言いながら人目につかないところではサボリまくっていたのがバレルのがイヤだったんだろう。修理代は十数万円と言われたそうだ。
 何ヶ月もせず、彼女は退社していった。そういうことが当たり前にある会社だったんだな。

 人間、誰しも“合う合わない”はある。それは仕方のないことだ。しかし、会社の中での話となれば、合うも合わぬも置いといて、お互い給料分働くために妥協しあうのがサラリーマンではないだろうか?
 だが、タンコン社にはそうでない人が非常に多い(ご本人たちは自覚症状がないようだが)。しかも、困ったことにそういうタイプの人間が中心を占めている。「あくまで自分が主流で、自分のやり方が嫌いな人間の方が自分に歩み寄るべし」と考えているらしい。
「お互いのやり方を尊重し、活かしつつ、結果として会社が利益を上げられればいい」とは考えられないらしい。それどころか、自分が勝手な感覚を人に押し付けているという意識さえないらしい者までいる。自分たちに迎合し、「飲み友達グループ」に入らない人間は何とかして排除しようとする。自分たちの仲良しグループ以外の人間が、自分たちよりいい仕事をされるのもイヤみたいだ

 子どもではないのだから、多少気に入らない人間がいても、「会社だけでのお付き合い」と割り切っていれば気にもならないだろうと思う。少なくとも私はそう考える人間なのだが、そうして一歩引かれると、さらに追いかけてきて難癖を付けるタイプの人間までいる。いや、それが「主流派」なのが、タンコン社の困ったところだ。
 そういう輩は、直接ケンカを売れない、あるいは買ってもらえないとなると、その腹いせを悪口陰口でしようとする。相手がいない場所、つまり反論できない、されないところで、その相手の悪口を、「先に言ってしまった者勝ち」とばかりにばら撒きまくるのだ。
 「そんなヤツはほっとけばいい」と思うかもしれないが、こういう輩の吐いたセリフを、「所詮は一方的な言い草」としてお話半分に聞き流せるオトナな人と、そうでない人が世の中にはいるというのも事実だ。そしてまたそれを面白がって、「グループ」の連中の作る「ネタ」がエスカレートしていく。そういうヤツがまた、そういうヤツを呼び、「類は友を…」で結託し、彼らにとっての“敵”に対する攻撃を強めていくんだ。一方、それに協力できないものはまた、ラインから排除され、自らもイジメ、嫌がらせの対象となる。やっぱり「正に小学生」だな。

 松戸という社員がいた。私と同期だったが、中途入社のため年はちょと上。中途で採用されたくらいなのだから、何かしら見るべきところもあったのだろうが、入社直後から「仕事もしない。態度も悪い最低な社員」という評判になってしまった。他の社員が何か失敗しても、「松戸よりはマシ」などという、酷い言い方をされていたね。
 確かに彼のモノの言い方にはクセがあった。しかし、それだけでそこまで人格を否定されなければならないものだろうか?実際、話してみると、少なくとも言う理屈自体はまともである。その彼が、どうしてそんな立場になってしまったのかの“原因”を知ったのは、何年も後のこと。総務のある管理職から詳細を聞いた時だった。
 彼がまだ入ったばかりの頃、当時同じ部署にいた“グループ”の“重鎮”とちょっとした意見の食い違いがあってモメた。折悪くその直後に、松戸が出勤前に体調を崩して倒れてしまったということがあったそうだ。1人暮らしだった彼は、丸1日動くことも出来ず、会社に連絡さえ出来ず、結果としてその日は「無断欠勤」してしまった。翌日には何とか会社に連絡をし、事情を説明したが、“重鎮”はここぞとばかりに「ヤツの言うことなど信用できない」と、「ネガティブキャンペーン」を展開。その人格攻撃で、あっという間に彼の信用を落としてしまった、というんだな。
 管理職にそんな攻撃をされれば、やる気を失うのも分からないでもない。もちろん、「なにくそ。実力と実績で信用を取り戻してやる」という前向きな考え方をする人もいるかも知れないけど、一時的にはともかく、“攻撃”があまりにも陰湿、執拗で度を越してくれば、人間どこかに精神的な逃げ場がないと人格が崩壊してしまう
 こういう時、総務や人事部に責任感と“バランス感覚”のある人がいれば、さっさと異動させるなり何なり対策を考えただろう。でも、タンコン社にはそういう義侠心のある人や、スジの通った人はいない。こういうことを総務なんかに相談したとしても、その場では「なるほど、君の言うことは分かった」などと調子のいいことを言うだけで、「ではどうする」というわけではないんだな。ただ、放置されるだけだ。下手なことを言って、自分も標的にされたくないとでも思ってるんだろうか?何度も言うが、正に、小学生のイジメレベルだ。
 松戸は、その“重鎮”について、今でも「あいつだけは一生許さない」と言っているという。そしてそんな話を、直接関係ない私にまで話したこの総務管理職は、だからといって具体的に何か手当てするつもりはないらしかった。

 高田武彦という社員がいた。彼は、某大手マスコミからの転職組であった。その彼も、人を貶めることを楽しみにする人たちの“エサ”にされたことに腹を立てていたな。
 ある日、彼がある仕事先に行くと、相手の担当者に突然こんなことを言われたという。
「高田さんて、時々大きなミスをするので有名だそうですね」
自分の仕事ぶりにそれなりの自信とプライドを持っていた彼は、雑談の中とはいえ、この唐突な話題に面食らった。しかも、話の内容には一切心当たりがない。「一体どこからそんな話が」とその相手に聞いたところ、相手は、
「いや、御社の今井田さんとお話したら、そんなことをおっしゃったので…」
と答えたそうだ。
 ここでまた高田は驚いた。タンコン社には社外の、しかも取引先の人間に対して、自分の会社の同僚の信用を失墜させるようなこと、それも作り話を吹聴する人間がいるのか。また、自分までその標的にされているのか、と。
 自分の会社の人間の、それもその相手の会社に出入りさせてもらっている人間の、ありもしない悪口を吹聴して信用を落とすなどということは、その人間の仕事の足を引っ張るということであり、ひいては自社のためにもならないと考えるのが常識的な人間だろう。しかし、そんな常識はタンコン社では通用しないらしい。“グループ”に忠誠を誓わない人間は、いつ標的にされてもおかしくないというわけだ。しかも、こういう事実について、もし総務、人事などに苦情を言っても、かえって“グループ”からより以上のイジメ、嫌がらせを受けることになりかねないんだ。本当に小中学生レベルだよ。

 そう言えば、今井田と職場結婚した奥方様には私も1度酷い目に遭っているな。彼女が雑談の中で別な女子社員の悪口を言うのを聞き流していたら、自分が言った悪口を本人に「唐島さんが言っていた」と言いつけられたのだ。相手の女子社員にえらい剣幕で怒られ、わけもわからず「どういうことだ?」と奥方様に問いただしたら、「え〜、だって自分で言ってて、『この話、面白いなって思っちゃって〜。本人に言わないのもったいないな』って気がしちゃって〜」とのたもうた。「ふざけるなよ。向こうはえらい怒ってて大変なんだぞ」と言うと、「え〜、大丈夫だよ。そのうち忘れるよ」とヘラヘラするのみだった。常識良識から考えれば、“似たもの夫婦”では済まないところだと思うが、済んでしまうのがタンコン社だ。



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